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成功するためには、一流の成功者に聞くのが何より最短距離。 そこで、すでに一流の成功をおさめている諸先輩方に、その成功の秘訣、人物像に迫るインタビューをここでは試みることにする。
■インタビュー第5回
奇跡は2度起きる!
不屈の一流人、尾崎憲一
尾崎憲一さん
日本で始めての個人向けインターネットプロバイダーサービス「ベッコアメ」を世に送り出した、尾崎氏。
ゼロから企業を成長させ、現在は、ベッコアメのブランドを譲渡し、コンサルタントとして活躍。完璧そうな彼の人生だが、波瀾万丈の上に築かれた自由人への切符だ。


奇跡は2度起きる!
不屈の一流人、尾崎憲一



1.失意からの再生

--残金3000円。泊まる家もなく、車で寝泊まりした。
間違いなく、崖っぷちにいた一人の男は、思った。

もう一度奇跡を起こさなければ…。

尾崎 奇跡は一度しか起きないっていうでしょう。
でも、僕は2度起こしたかった。
そのためには、パワーが必要だと思ったから、まず手がかりにマンションを買おうと思ったんですよ。 カネも家もないのに。

だから、その晩、車を止めたすぐそばにあった、モデルルームのマンションを買いに行きました。佃にあるので、1億500万円はしましたね。
 物件を抑えるためには、まず、11分の1倍率の抽選に当たらなければならなかったんです。
11倍っていうのは結構な倍率で、普通はそこで、落選するでしょう? でも、それが当たったんですよ。

















--マンションを購入しようと思ったのは、ただのホームレスではない。

日本のインターネット黎明期を作り上げたといっても過言ではない、インターネットプロバイダ、ベッコアメを創業した、尾崎憲一だった。
1994年に同社を立ち上げて、日本一の会員数を獲得したという絶頂を体験した男が、1998年に経験したのは、まさに地を這うような体験。

尾崎 事業で思わぬ落とし穴にハマったと、いうべきかな。
詳しくはあまりいえないけど、ある日、地方裁判所から訴状が届いて、僕の家を差し押さえられただけではなく、実家までも差し押さえになりました。

そのときは、周囲のスタッフの信頼を失っただけではなく、あらゆるものが、瞬時に僕の手もとからからなくなって行きましたよ。

2.ゼロから始めたダンボネット
--高級車に乗り、あらゆる贅沢を尽くした人間が、一夜にして食べるに困る状況に転じた。
貶められ、人間性を否定され、普通の人間なら打ちのめされて当然だが、尾崎は違った。

尾崎 マンションの抽選に、当たって次は1週間以内に1050万円の頭金。
それから1億円のローンですよ。職業欄を空欄でローンの申し込みをしたのは、前代未聞だと騒がれました。
情報を調べれば僕がどんな経歴を持った人間か分かるでしょう。僕は自分の名前でカケに出たんです。


--晴れてカケに勝った尾崎だが、毎月55万円のローンと、顧客ゼロからインターネット、コンサルティング会社、ダンボネットをスタートすることとなった。
家計だけではなく、事務所の家賃や運転資金など、すべて自転車操業だったという。

尾崎 ダンボネットは、設立はしたものの、休眠していた会社だったので、仕事のあてがあるわけではありませんでした。
知り合いの会社の顧問になったり、様々なネット事業の相談に乗っているうちにアイディアを思い付いたりして、早くももう8期目になりました。

数ある時計の中でも、この日尾崎氏が身に着けていたのは、ブライトリング。航空技術のから生まれた高性能な時計である。


3.人間尾崎

--現在では、事業も順調にこなし事務所の家賃に困ることはない。
佃のマンションから、汐留のマンションに買い換え、大好きなランボルギーニ、さらに自家用の船までも所有する身となった。
言葉では、語り尽くせないような苦労をしてきたが、自分を追い出した人たちを恨んではいないという。
懐も大きく、そして、あらゆることを成し遂げることの出来る男、尾崎とはどのような人間だったのだろうか?

尾崎 下町生まれで、おやじは電気工事店をやっていました。

裕福とは言えない家庭で育ち、小さいころから、いつか社長になるんだと思っていましたね。
昔から、熱中すると行き着くところまで、自分で調べないと納得しない性格。高校生のころは、スーパーカーが大好きで、タイヤをなめるほど没頭たね。
パソコン通信にも傾倒して、日本で初めてのBBSを作ったかな。それからクレジットカードの、チェックデジット 。これは、どうしても解きたくなって、学生時代、ノート70冊、約3年の歳月を掛けて解明しましたよ。
今の事業、セキュリティ関連のシステム開発には大いに役立っています。

--始めたら、極めるまでは止まらない。そんな気質は、常に一流のものを求めるという行動にも現れている。

尾崎 喫茶店でアルバイトをするような学生なのに、そのバイト代で20万円のステーキを食べにいったり、ヴィトンのアタッシュケースを買ったり…。
昨夜は子どもの駒を見ていたら、一流のものが欲しくなり、1年間回り続ける駒を見つけましたよ。
時計、車は、上を見ると切りがないのでまだまだ途中ですけどね。

--一流のものの持つ、優れた機能・技術を嬉々として話す尾崎。ハイスペックでなければ許せないという志向は、自分へも向けられている。それが、徹底的に調べ尽くす体質。
そして、一流の技術を自分のものにしてしまうという原動力といえるのかもしれない。尾崎は、自分のビジネススタイルをこう語る。

尾崎 僕は、常にゲリラ戦。勝算も計算もなしに始めてしまう。ベッコアメのときもまずは、利用料年間3万円定額をひらめいた。
現実的な計算はそのあと。安定した企業を2倍3倍に増やすよりは、ゼロからロケットを発射させる起業の方が向いているね。だから、今も数々の立ち上げに相談に乗っていますよ。勝算なしの相談を受けて、3年後にやっと御礼がくることもザラです。

キャッシュデジットの話が出たとたん、ボードに素早く数字を書きはじめた。解き明かした計算を解説する、尾崎氏。思い付いたら素早く行動する人でもある。

4.社長、そして自由人になること
--現在、彼のもとには、多くの起業家志願者が相談に来るという。どのような人が社長に向いているのだろうか?

尾崎 日本人は滑り止めが好き。だからまず会社を辞めて、もがきながら体得するように勧めています。
社長になるには、ある程度ズボラでなければならないと思う。常に半端ではないストレスにさらされているから、どんなことが起きてもパニックにならない図太さが必要だね。

それから、創業社長に多いことなのだけど、会社を溺愛してはいけないこと。よく、船にたとえるのだけど、船底に浅瀬で引っ掻き傷ができたとしても、航行可能ならまずは目的地にたどり着かないと。船が大事なあまり、目的を置いて修理に奔走してはいけないと思います。

--では、経済的な自由を得るにはどうしたらいいだろうか?

尾崎 株式公開を目指さないこと。それよりも、やりたいことをやるべき。好きなことをやって、お金を稼ぐのは、趣味にお金を使っているようなもので、生活の満足度が高いから。

--公開して終わるようなビジネスではなく、生涯を楽しむこと。これが最良の経済的自由を得ることと、さらりと言ってのける。
その言葉の裏には、どんなことも、半端では許せない、突き詰める所までをやらなければなならないという、揺るぎない決意も必要ということを、彼の生き様が知らせてくれる。


最近のエネルギーの原動力は、新型クルーザー。GRANDBANK 46EU。広く大きい船はグァムまでいけるほど。

 

■ バックナンバー ■
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ヒット企画の作り方」
第3回 濱口茂樹さん
 「意識は、現実を創る」
・第2回 藤田隆志さん
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・第1回 沢孝史さん
「世界中のすべての人が仏陀みたいになったら」
尾崎憲一さん
プロフィール
1967年 千葉県松戸市生まれ。1990年東京電気大学理工学部卒 、株式会社東芝入社。
1994年 インターネット接続サービス開始。同年、株式会社 ベッコアメ・インターネット 設立。
1997年 ダンボネット・システムズ株式会社設立、代表取締役就任 。2002年 株式会社マイアルバム設立、代表取締役就任

主な著書
『ベッコアメの奇跡』(廣済堂出版)
『インターネットビジネスは楽じゃない』(データハウス)

1.失意からの再生
2.ゼロから始めたダンボネット
3.人間尾崎
4.社長、そして自由人になること
 
 
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